楽天kobo商法は間違っていると同時に正しい

楽天kobo商法

楽天koboといえば、Wikipedia1記事1書籍として扱ったり水増しで行政指導うけたり頼んでないのに無料プレゼントしたりと話題に事欠かない。多くの人は、この楽天のやり方に異議を唱え、不満を漏らすが、個人的意見としては、これは「電子書籍業界に必要不可欠な悪事」だと思っている。

功績

楽天kobo商法。常識的に見ればだいぶゲスいやり方だけど、未だに電子書籍が普及しない日本において、それを実現するための起爆剤になるのは確かだと思う。誰もがkobo(もといリーダー)を持つ時代。そのための1つの要因が「質より量のコンテンツ」。もう一つが「使わなくても損しない値段」。他にも「汚名であっても知名度(書籍数水増し)」とか、「とりあえずみんな持ってる(無料配送事件)」とかがあって、結果、電子書籍リーダーの存在が一般化してくる。現に、Sonyやら東芝やら、今まで何年もやってきたけど鳴かず飛ばずだったのに、ここにきてkoboという歩兵が着実に人の視界に入ってきている気がする。大した性能も、大したコンテンツもないのに、楽天の財力を使って、利益が出そうにないkoboの宣伝を撃ちまくっている。これにより「電子書籍を知らない」という人は格段と減ったのではないだろうか。
電子書籍リーダーの存在が当たり前になれば、そのうち人の欲として「もっといいのがほしい」となり、結果的に電子書籍界全体が活性化する。おそらく楽天kobo商法で損をするのは、楽天だけだ。これは果たして罪なのだろうか。

楽天だけじゃどうしようもない

電子書籍の普及おける問題で、残るは「購入方法の違い」。現実社会では、紀伊国屋で買おうがくまざわ書店で買おうが、いつもと同じ感覚で読むことができるのに、A社サイトで買った電子書籍がB社デバイスでは読めないとなると、やはり全体的に減速してくる。これを解決するためにも、オンライン購入に際する共通プロトコルが必要になってくるのではないか。共通プロトコルさえあれば、販売サイトは複数あっても、ユーザは一つのデバイスで購入できる。そのプロトコルの提案を楽天ができるかどうかが楽天の生き残りの唯一の道であるが、楽天ってそういう企業じゃないからたぶん無理だろうし、日本企業の多くは未だ「オレオレ仕様」が大好きなので、そうそう話は進まなさそう。同じデバイスで複数サイトから購入ができるとか超魅力的なんだけどなぁ。
[twitter:@moznion]くんとの会話で、「Amazonがやってくれるのではないか」という話が出た。おそらくは「ECデファクトの俺様がオレオレプロトコル作ったから、みんな追随すれば、お前らのところでも買ってくれる人でてくるんじゃね?」的なやり方にはなるだろうけど、Amazonがそのプロトコルを公開するかはやはり微妙。

本当の敵は印刷業界かもしれない

正直な話、電子書籍が一般化したところで、出版社がさほど損するとは思えない。みんなkobo(もといリーダー)持ってる中で、どの端末からも任意のサイト経由で本が買えるとなれば、出版社は原価0で本が売れるわけだ(原価に人件費は含まれない。もちろん経費は0ではない)。んじゃ一体、なんで出版社がこれほどまでに電子書籍に抵抗感を示すのか。それはおそらく「今まで仲良くしてきた印刷業界に気を使ってる」からな気がしている。
昨今、様々なものが電子化され、印刷業界の売上はどんどん下がってきている。そんな中、書籍の印刷数まで下がってしまえば、大手印刷会社ですら無事ではいれられないだろう。今まで色々良しなにしてきてくれた印刷業界が縮小してしまうのは、出版社的にも心地良いものではない。出版社は「自分たちが拒否してる」というテイを装っているが、「印刷業界を無視できない」というのが本音なのではないだろうか。

以下、偏見に基づく妄想

一方で、印刷業界も、そうそう簡単に規模を縮小できない。印刷業界を支えている人たちは印刷機を動かしたり、梱包その他の肉体労働をしている人たちだ。必ずしもインテリではない。むしろ、頭より身体を使う方が得意な人達が多いのではないか。悪い言い方をすれば「学歴の要らない、誰でもできる仕事」である。つまり、印刷業界が日本の雇用を支えている面も少なくないはずだ。ここで重要なのは、この「誰でも」には障碍者も含まれることである。言語障碍や聴覚障碍があり意思疎通が難しかったり、知的障碍があり多くの、細かいことが覚えづらかったりする人でも、ちゃんと働き、給料を貰うことができる。印刷業界を縮小させるというのは、こういう人たちも含めて、その受け皿を縮小させることになる。大抵、雇用が縮小した場合、会社に残るのはインテリ側の人たちだ。本来、インテリ側は自分の居場所がなくなれば、自分でその場所を作ることも可能だが、すべての人にそれができるわけではない。なのに、その力の弱い人ほど、先にクビを切られる。まぁ会社的に考えても「自分で場所を作れない人」ばかり会社に残したところで成長が弱いという事実もあるので、致し方のない判断かもしれない。とはいえ、この人たちの食い扶持をちゃんと確保するためには、印刷業界は彼らを含めた関係者の分の利益を作らねばならず、その利益を作るためにも書籍の印刷数を減らす訳にはいかない。出版社も、それをわかっているなら、同じく紙での出版数を減らす訳にはいかないだろう。ともなれば、電子書籍というソリューションは、ある意味で、何も解決してくれないのである。

まとめ

電子書籍は非常に便利である。質量0で、好きなだけ本を所有でき、重さ0で、好きなだけ本が持ち運べる。「あの本にいい言葉が書いてあった」なんて雑談するときに、うろ覚えの言葉を披露せずとも、実際に本を見せ、引用できる。引越しだって楽だ。検索機能を上手く使えば、一版の本すら電子辞書的な使い方ができるだろう。わざわざ本屋に行かなくても、即座に購入し、読むことができる。環境が整えば出版社だって売上を上げることもできるし、[twitter:@moznion]くんは「何も産まない中古市場を駆逐しつつ、新しいものを輩出できる」といっていた。まさにその通りだと思う。
しかし、日本国内においてその普及はうまいこと言っていない。電子書籍の利点の訴求がうまくいっていないのもそうだが、恩恵をうけるはずの出版社ですら及び腰だ。そこで楽天は前者の「利点の訴求」をしやすい環境の構築のために動き始めた。あとは後者の「出版社」である。しかし出版社にはそうそう恩恵をうけるわけにはいかない事情がありそうだ。その事情が解決しない限り、おそらく国内での電子書籍の普及は遅々として進まないだろう。koboWikipedia問題は、この状況に対応するための苦肉の策だったのかもしれない。