デザイナ遍歴

一応職業的にはウェブデザイナということにしているが、学生の頃はがっつり情報系の道を歩んでおり、プログラムよりもデザインをしている方が苦手だったりするわけだが、自己紹介がてらそんなデザイナ遍歴的な何かをナニすることにする。

小中学時代

もうすでにはっきりとは覚えていないのだが、はるか昔、叔母に花の絵を描いて見せる際、叔母の目の前に座り、見せながら描いていたそうな。しかし、叔母はどうみてもそれが花には見えなかった。一体この子はどうしちゃったんだろうと思っていたところ完成品を見て驚愕したそうな。その絵は叔母の方から見て花になる様に描かれていた。叔母はてっきり描いている俺の方から見て花になるように描かれていると思っていたらしく、いたく感動したと聞いている。
また、当時から漫画好き(下ネタが少なくエロが多いボンボン派)で、自分で漫画も書いていた。まぁ、小学生なら誰にでも経験のあるレベルのものだし、決してうまいわけでもない。ただ当時からどうすれば上手いコマ割りが出来るんだろうと、常に考えていた気がする。その前にもっと気にすべきことがあるだろ。画力とかネタとか。
中学では、先輩にすごく絵のうまい人(ふしぎ遊戯のイラストをそっくりに描く人)がいて、一時期その格差による絶望から絵を描く事を諦めていたが、3年生になると意外と周りに絵を描く人が多いことを知り、ひょんなことからまたイラストを描き始める。まぁ絵の上手い人といってもアーティストとより、たんなるアニオタなのだが、その彼らの影響で一時期、本当に一時期、俺もアニオタ人生を歩んでいた。当時はMAZE爆熱時空がマイブームでした。ちなみに、このとき自分の机に描いた女性の絵が、人生で一番うまかった絵だと思う。

高専時代

描けば描くほど下手になっているイラストに嫌気がさし、でもその欲求を満たしたくて仕方が無い時に、自分用のPCを手に入れる機会を得る。Celeron333MHzのCPUでありながら、いろんな(エロ)ゲームと共にインストールされたのが某写真屋さんである。細かい話はおいといて、若気の至りで許しておいていただきたい。ともかく、写真屋さんは俺に新しい道を開いてくれた。いろいろフィルタを適当に駆使すれば、それなりにいいものが出来上がり、少し気を使うだけでもかなりかっこよくなる。イラストはなかなかうまくならなかったが、写真屋さんを使うことに日夜没頭しはじめた。デザイナとして目覚めた瞬間である。
後にFlashというアレなアレもインストールされ、静止画に収まらず動画的な何かも弄るようになり、その流れかHTMLを学び始め、3年生の頃にはまだISDNだった実家の回線からウェブサイトを更新していた。
とはいえ、実のところ、このデザイナ心が陽の目をみることはなかった。文化発表会というイベントのポスターは他の人にお願いしたし、他に何かを作る機会もなかった。

大学時代

俺のデザイナ心が陽の目を見た、唯一の機会。それがこの時期である。昔から超インドア派だった俺は、その性格を変えようと、すこしイケイケなサークルに入ろうと思い、大学の学園祭実行委員の扉を叩いた。学園祭実行委員といえば、成績は悪くともコミュニケーション能力や交渉力が高く、理系大学でありながらどこか文系な匂いのするサークルであると、偏見の塊でしかみていなかったのだが、実際に所属してみるとイケイケどころか結構みんなインドア派でして。たぶんね、あの学年がおとなしかったんだと思うよ、うん。
で、俺はそのサークルに入る上で、もう一つの目論見を持っていた。それは、学園祭のポスターを描くこと。学園祭のポスターがどういうフローで描かれているのか知らないが、とにかく「デザインする機会」が欲しかった俺は、そのサークルで進んで(人が足りないと言われていた)渉外・編集部に所属し、みごとその機会を得たのだった。とはいえ、なんの実績もない俺。大学には、美術系の学科もあり、どう考えてもそっちの人にポスター制作の話が行くであろうと思っていたのだが、なんかよくわからないうちに、トントンと俺が描くことに決まっていった。正直、実績のない人に描かせるのは冒険でしかない気がするが、こっちとしてはありがたい限りでして。ちょうどその年、学園祭の名前が変わるということで、「第1回」の冠を持ったポスターを描くことになったのです。デザイナとしてのデビュー戦であります。
できあがったポスターは、部外の人には「失敗作」と言われたり、好きだった子に「コレ好きー」と言ってもらったり、類似デザインで作ったスタッフパスをみた美術系学科の後輩が「うちの学科来ませんか?」と言ってくれたり、まぁそこそこいい気になったもんですよ。とはいえ、それ以降またしばらくデザイナとしての活動が出来る機会はまったくなかった。

大学院時代

人生の転機はここで訪れた。
「やったことがないことをやりたい」「編入試験で(問題が難しくて)受験すらしなかったあの学校にリベンジ(?)したい」などの理由で受けた某大学院だが、地に足のつかない目的だったせいか、すぐに嫌になり、でも研究はしなければならず、モヤモヤしてたらひどい偏頭痛に見舞われるようになった。おそらくストレスと言うか、欝の一種だったんじゃないかと思うんだが、まだ欝ブームが来る直前だったこともあり、これが欝であるとは思いもよらず、自分なりに「ただの甘えだ」と思いつつも、少しでもストレス発散をしたくて入り浸っていたのが写真部であるが、少し自分の将来について考えてもいいかもしれない、と思いたち、ふと思いついたのが「デザイナになりたい」というものだった。
大学時代に描いたポスターが忘れられず、また何かポスターのようなものを作りたい。そういう思いが強くなり、研究そっちのけでダブルスクールとして「デジハリ」に通うことになる。デジハリでは主にPhotoshopIllustratorの使い方の勉強がメインで、半年で80万も(ローンで)払ったのに、あまりためにならなかったが、そこで知り合った人からアルバイトとして仕事先を紹介され、週1で学校に通いつつも週4は仕事をするという、今考えたらひどいな俺。
まぁ俺がやりたかったのはポスターデザインだったのだが、仕事先の都合上、というか、なまじウェブの知識があったものだから、その後大学院を中退し正式に就職した以降も結局ウェブデザイナとしての仕事しかできなかった。
ちなみに、デジハリに通っていた際、サブクラスとして受講したイメージビジュアルナントカというコースが宿題ベースのコースだったこともあり、常に何らかのイラストを描いては授業中のプレゼンでみんなの前に公開して、なんというか、今までで一番、いろんな欲(絵を描きたい、人前で話したい、目立ちたい)が満たされていた気がする。

社会人時代1

先にも書いたとおり、就職した先では主にウェブデザインをおこなっており、全くといってイラストは描かなかったが、自分なりにFlashのスキルを伸ばしたり、いろんな表現を(独学で)学んだりと、職業ウェブデザイナとしての道を真っ直ぐに歩んできた。とはいえ、ポスターデザインの道は諦められず、退職後も出来れば紙のデザインが出来る会社を願い出ていたのだが、時代が時代のため、やはりウェブデザイン一本で行く道しかないことに気付かされ、少し絶望する。

社会人時代2

転職し、大企業に入り、これからいろんなデザインをしていくぞー!と思った矢先、会社の都合でディレクションやらされたりスクリプトくまされたりしており、実のところこの数ヶ月は特にほとんどデザインというものをしていない。先輩が気を使ってくれて、できるだけ回せそうな仕事を回してくれるのだが、そのディレクションやらスクリプトやらをやっている業務が多忙すぎて、なかなか手を付けられないでいる。
神は俺からポスターデザインを奪うだけでなく、ウェブデザインも奪うというのか!的なことを考えつつも、何とかして時間を作って、少しでもデザインに関わっていけるよう努力していくつもりである。

まとめ

幼少期からイラストやデザインなどに興味を持ち、そしてその延長として今の自分がいる。できることなら、もっと真面目に学生時代から絵を描いておくべきだったと後悔しているが、それは別に今からでも遅くない話なので、今後は時間の許す限り、イラストにこだわらず、なんらかの創作活動を行なっていきたいなーと考えている所存である。